2022年3月30日水曜日

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お久しぶりのイワ様(カメラマン仲間)。
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富士フイルムより手頃な中判デジタルが発売されてもう幾年か過ぎた。

近頃、Xシリーズで富士フイルムの描写に味を占めた僕はその存在は気になってはいたものの、まあ随分とお安くなったとはいえ(ライカやハッセル、フェーズワンに比べて)それでもボディが50万、そこに20万そこそこするレンズを数本、なんてなると簡単に軽自動車にあと一歩なんて値段になってしまう。
うーむ、なかなかお高いしコストパフォーマンスの面も考慮すると導入までは至らないなあと深く考えずに結論づけていたところ、GF45-100mmというレンズの存在を知る。
換算36-79mm、おっとこのレンジだとこの1本で僕の仕事の90パーセント近くができてしまう。
いや、しかし今のAPSでも十分に満足できる写真を撮影することができるうえに、APSやフルサイズが持っている軽快・汎用さを失ってしまうだろうシステムに、そこまでの価値を見出せるだろうかという懸念がありました。

そんな折にGFX50Rなる富士フイルムの中判デジタルをお貸しいただくという僥倖。

率直な感想としてはXシリーズの奮闘の素晴らしさを知るという結果、Xシリーズで90点の撮影ができるうえで残りの10点を加点できるかどうかという感じ。もちろん、10点の加点を得られたところで元々の写真が悪ければ30点や40点といった、まったく高価なカメラやレンズを使用している意味がないという悲劇もある。
つまり得られる結果・システムのコンパクトさや汎用性、価格、総合して冷静に考慮すればなるほどフルサイズやAPSというシステムの完成度を強く納得させられることに。



結論として、この中判デジタル(と言ってもフルサイズより二回りほどセンサーが大きいくらいでフイルム同様の中判サイズではない)に手を出してしまった。

理由として挙げられるのが被写体や背景、細かなディテールがしっかりと分離して存在感を持っている(ように感じる)こと。安易に背景をボカして被写体を背景から分離するのはなく、ボケを利用しなくてもそれぞれに存在感を覚える描写をする。

そしてもう一つ、こちらが割と重要でシャッターが重いのである。Xシリーズだとシャッターの軽快さについついシャッターを多く切ってしまい、またそれ故かシャッターを切るワンストロークが自分の中でも軽くなってしまい、数枚で撮影できるはずでもついついその数倍のボタンを押下する。撮ることに対する集中力が薄くなってしまう。

圧倒的な描写力ではなく、この重くて鈍重なカメラ(それでも速いけど)が精神的に与えてくれる写真を撮る行為、そのことに向かい合う姿勢こそが求めていたものだと思う。



GFX50Sの良い出物もあったし、レンズキャッシュバックキャンペーン中、富士フイルムのプロ会員になれば(なりました)、サブがなくても修理中に代替機を貸していただける、これはそういうことなんだろうと勝手に思い込んでポチり。

さあ、もっと良い写真を撮るぞという想いを免罪符に。

2022年3月20日日曜日

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3/19, 20の二日間に渡り開催いたしました撮影会、無事に撮影終了しました。
計11組のお客様にご来店いただき、楽しい時間を共有させていただきました、ありがとうございます。
さあ、良いプリントを作って額装、そしてお届けするのがまた楽しみです。

2022年3月18日金曜日

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素敵な撮影をお任せいただきました、シニア結婚記念撮影。

写真を撮るという行為は記録を「残す」というだけでなく、その被写体同士が「繋がり」を実感することができる、物質的だけではない体感的な要素を持っているとも思う。

昔の人がスタジオでパチリと1枚、家族写真を撮影しているシーンを俯瞰するとやはりその1枚に記録だけではない、家族の強い絆のようなものを強く感じたからではないかと考察する。写真台紙にして戸棚に仕舞ってしまったとしても、家族で1枚の写真を残すという繋がりは撮影体験として残っている。

しっかりとしたスタジオ写真に限らず、写ルンですやスマートフォンのように色々な形で友人やイベント、思い出を写真に残すことは、やはりそこに通じていると思う。

そんな風に、唯物的な写真撮影だけではない、写真体験による実感をこれから広めていきたい知ってもらいたい、と締めくくる。


2022年3月11日金曜日

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若松南海岸通りを娘と歩く。
この時は夕方頃で寒かったのだけど、一気に暖かくなってまいりました。春。

若松区の端には戸畑に渡る船、渡船が出ている。
その渡船場になかなかお目にかかることがない自販機アイスがあり、娘さん羨望の眼差し。
ずいぶん寒かったし、時刻も夕刻だったので「今日は我慢だよ」と言うとご立腹。
いつもダメじゃん!とのことだが、まあ、たしかにこの珍しい自販機を見かける時は大概タイミングが悪い。と言うのもその心算というか準備ができていないから、往々にしてタイミングが悪いわけだ。仕様がない。
コンビニや買い物のついでに買うアイスはまさにその心算ができているというわけだ。

それじゃあ仕方がない、その心算というものをしておけばよいのだ。
娘とそれではこの日のこの時にという約束を交わす。


惚れ惚れする空気感、果たして僕はこの後X-Pro3に無事(?)満足できるのだろうか。

2022年3月9日水曜日

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娘様の製作した寅とテーブル(ダンボール)。寅年。
なかなか良い。

2022年3月7日月曜日

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今までに使ってきたフルサイズセンサーのカメラや、ただいま使用しているAPS-Cセンサーを持つXシリーズでも似たような撮影結果を得ることはできると思う。実際、プリントまでしてみればどれがフルサイズでどれがラージフォーマット?ということになっちゃうと思う。

しかし撮影をしていてその場で得る実感は、結果は類似したものだろうが、そこに至るまでの余裕や説得力をラージフォーマットに覚える。自動車で時速100km/hで走行する時の軽自動車と普通自動車の違いは近からずも遠からずな答えだと思う。

明日はスタジオで猫でも撮影してみようかな。




@浮雲珈琲店

2022年3月6日日曜日

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本日のハナ(猫)すごいところに頭乗せて寝てた。

今日も空いた時間はGFX50R片手にテストテスト。

まあ、テストと言ってみてもしっかりとした検証なんて考えていない。ただ普段と同じように撮影するうえでどのような違いを見て・感じ取れるか、自身に適しているかどうかを判断する。というだけのこと。

素晴らしいセンサーでハイライトもシャドウもしっかり描写されていてすごい!とかあっても、結局のところ好きになれなければ意味がない。

一緒にお借りしているGF35-70mmは開放絞りが暗く、f/5.6にすることで通しとして使用している。5.6くらい絞るとやはりボケ感は薄いけれど、ボケが薄い中でも被写体がしっかり背景から分離するのはラージフォーマットのおかげだろうか。

何気なくシャッターを切る、そのシャッターを切った意味を言語化できずとも、やはり何かしらを感じたわけで、その何かしらが埋れてしまわずに結局は説明はできないけれど、その要素を感じとることができる。

うーん、省くことも大切だと思っていたけれど情報量は偉大、なのか。

2022年3月5日土曜日

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坊主と娘と早速、GFX50Rを片手に撮り歩き。

機械面の第一印象として、シャッターが重めの印象で撮影している感を強く味わえる(何枚もパシャパシャ撮る行為が減る)、その影響か大きいカメラを持ってることがあまり苦痛でないこと、です。楽しい。

5000万画素オーバーのカメラで心配していたけれど、僕の古いiMacでも苦痛を覚えることなく現像できます。

2022年3月4日金曜日

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GFX50Rをお借りしました(ニッコリ)。

とりあえずまずは妻と娘のポートレートをパチリ。

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お借りしている間に色々な被写体を試して、フォーマットサイズの違いを大いに体感したい。

ずっと気にはなっているラージフォーマット。

フルサイズとAPS-Cにおいて、出てくる写真に違いはあれど差はないと思える程度だったもので、大枚を叩いたところで自身の写真が次のステージに登ることができるのか、という疑問が常々あった。

同時にフルサイズやAPS-Cといったフォーマットにおける軽快さ・柔軟さをスポイルするようでいまいち踏み込めない領域だった。なかなか手にすることができないカメラゆえ、テストすることさえ叶わなかった日々。

この1週間でそんな不安を一掃したい。